SNSで視点力を磨くと楽しいことしかなくなる。
ブログに書いたりとか、
SNSで発信する時とかって
なにか、大層な内容にしなければいけないという思いが念頭にある。
でも、そんな大層なことなんて、日常にそう起こらない。
みんなそんなに毎日パーティー状態なの?と思ってたけれど
そうじゃなかった。
日常はあくまで日常にすぎない
わたしはよしもとばななさんの本が好きなのだけど、
どういうところが好きかって
日常の些細な事、例えば食事のシーンや料理のシーンが、とても丁寧に描かれているところがすごく好き。
きっと、その内容を行動にしてみたら
本当になんでもないことなのに、
よしもとばななさんにかかれば、
今わたしがこうして部屋でかたかたとパソコンを打っているこの瞬間すら、
素敵な小説にしてしまうことができる。
イケハヤさんの、このnoteが素晴らしくて。
「インプットとアウトプット」について、多くの人が勘違いしていること。|イケダハヤト【有料マガジン注力中!】|note
「アウトプットの粒度を高めれば、どんなものも素晴らしいインプットになる」
とは、本当にその通りだと思う。
エッセイを読んで面白いと思うのは、
その人の視点に触れられるからなのだ。
その人の視点によって、切り取られた世界が見たいのだ。
大好きなのだ。
写真も映画も全て
「その人の世界観が好き」=「その人の視点が好き」
ということ。
自分の中の視点を磨く
好きも嫌いも、自分の脳みその反応だ。
脳科学者の茂木さんは、「自分の脳が認識していることしか、脳は反応しない」
というようなことを言っていた。
じゃあ、好きでも嫌いでも、
なにかの感情が生まれるならその視点はすでに自分の中にもあるのだ。
その視点を「自分の視点」として磨くためには
やはり日々アウトプットし続けるしかない。
自分の表現を自分の世界を確立したい。
そう思うのならば、自分の視点で見た物事を、アウトプットし続けるんだ。
本当に幸せなことに、今はツールがたくさんある。
こういうブログもそうだし、Twitter、インスタグラム、Facebook、note。
どれをどんなふうに使っても構わないけれど
「人の目に触れるもの」であることがとても重要だと思う。
日記や手帳は、しまわれてしまうから。
これは自分への戒めでもあるけれど。
わたしは本を読んで、いいなと思った部分を手帳に書き込む。
書き込んで、満足してしまう。
後から手帳を見返した時に
「あぁ、わたしこういうこと考えてたなぁ」
と、思い返す程度だから。
たくさんのツールを使って、
人の目に触れる場で磨いて行こうと思う。
自分の視点を磨き、自分の表現をしていこう。
そうすると、世界は楽しいことだらけだ