【ドラマ】「せいせいするほど愛してる」恥ずかしくて見られないあのシーン。
共感性羞恥
先日、こんな記事を読みました。
まじわかるこれ!!
見られないほどではないけれど、
そのシーンがあることがわかっていたら、
その場面が近づくまでドキドキして、
いざそのシーンになったら
目をつぶってやり過ごします。
ドッキリとかモニタリングにはなんとも思わないのだけれど、
ドラマ!
ドラマがダメなのだ。
そして、この「共感性羞恥」という言葉を説明するためのドラマか、と
思うほどに良きタイミングだったドラマ。
「せいせいするほど愛してる」
タッキーが1人でこっそりやっていたエアギターが、武井咲にバレるのです。
予告見て、バレるのはわかっていたんです。
だからもう、いつ来るかそわそわそわそわ・・・。
そして。
きた。
だめです。
この画像ですら、見るのがきつい!
恥ずかしすぎる!!
今日、わたしも書きかけのブログを、
ネタにしている当人に見られる
という失態を犯しました。
正確に言うとまだ見られたかわからないのだけれど。
5分5分です。
もう、恥ずかしすぎて
その後独り言が止まりませんでした。
何かしていないと落ち着かなくて、
キャベツをぱりぱりぱりぱりひたすら食べていました。
いつもなら、見られるようなことはまずないのです。
それが今日に限って、
色々なことが重なって。
大抵何か起きる時って、
普段あまりない小さな出来事が積み重なって起こるんですよね。
あぁ恥ずかしい。
「見られたものはしょうがない」
と無理矢理開き直ってみるけれど、
開き直りきれない自分がいるのです。
ドラマの中のタッキーのように、
「コーヒー飲むか?」
と、何事もなかったかのように振る舞いたい。
そしてできるなら、武井咲ちゃんのように
「今のなんですか?」
「指差すところとかかっこよかったですよー!」
と、笑いながら可愛く突っ込まれたい。